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BIOGRAPHY

ハードロック界における著名なアーティスト達の背後から支え、フュージョンの更なる進化を模索し、この世で最も激しいメタルサウンドを激打する・・・そして、日本のサッカースタジアムをも大喝采の歓喜の渦に巻き込む。 ドラマーとしては勿論、ソロで見せるマルチインストゥルメントプレイヤー/シンガー/ソングライター、あらゆる角度でシェーン・ガラスは更に進化を続けていく。

Introduction

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シェーンはアルバータ州、イニスフェイルの小さな街で育った。ロックの中心とは程遠い街だが、この3代目ノルウェー系カナダ人が音楽にのめり込むのを留まらせるには至らなかった。

「両親のジュークボックスから流れて来る音楽やエルビスの曲なんかに合わせて地下室を走り回っていたのを良く覚えているよ」

とシェーンは語る。KISSの "Alive I"を聴いてから、"Love Gun’ Tour"のコンサートに連れて行ってくれと両親に懇願したという。そして、その衝撃は彼の一生を変える事になった。

「あのコンサートは僕にスゴい影響を与えた。あの瞬間、自分は人生で何をすべきか悟ったんだ」

両親の暖かい支援と理解に包まれて、シェーンは9歳でギターを弾き始め、一年後にはドラムを始めた。AC ⁄ DC、Led Zeppelin、Black Sabbath、そしてVan Halen等に合わせて毎日練習に明け暮れていた。

「僕が地下室でPeavey Dacadeアンプを最大ボリュームにして、ドラムを力に限り叩きまくっても、両親は文句を言わずに居てくれたんだ。友達のダンが来たりしてPAを通してジャムってたよ、窓を全開にしてね。イニスフェイルの3500人の住人みんな聞こえていたと思うよ(笑)」

ミュージシャンの道

言わずもがな、シェーンはミュージシャンへの道を一直線に走り、高校を卒業して直ぐに、プロとしてTop 40グループでツアーを始めた。1987年に、アルバータ州エドモントンにあるGrant MacEwan Music Collegeに入学。ジャズ、パーカッション、ピアノ等を学ぶと同時に3年の間カナダのサーキットバンドと広範囲にわたりツアーを続けた。1991年はギタリスト/プロデューサーであるPaul Deanのレコーディング、そしてツアーに一年を費やした。

更なる上を目指して

常に更なる上を目指す意欲に燃えるシェーンは、Musician’s Institute (P.I.T.)で学ぶ為に1993年にロサンゼルスに移住。Vocational Honorsという優秀な成績を持って卒業、更に一年後にはRock Drummer of The Yearを受賞した。シェーンが頭角を現すのに、さほど時間はかからなかった。他でもないDeen Castronovo (Journey/Ozzy Osbourne)の推薦で、スウェーデンのスーパーギタリスト、Yngwie Malmsteenのアルバム「Magnum Opus」のドラマーとして、最初の大きなブレイクを迎える事となる。アメリカ、日本、ヨーロッパ中を巡る大規模なツアーを終え、Yngwieの活動が一段落すると、ベーシストBarry Sparksと共にMichael Schenker Group、Vinnie Moore、そして伝説的なドイツのギターマスター、Uli Jon Roth (元Scorpions)のもとで活躍した。

新たな展開

ギタリスト/プロデューサーであるJeff Kollmanと初めて会ったのはフェニックスのスタジオで、MSGに携わっている時だった。二人はすぐに意気投合し、絶大な評価を得るプログレッシブフュージョンのCosmosquadや、UFOのヴォーカリストPhill Moggを迎えた$ign of 4、"ロックの声" と評されるGlen Hughs (Deep Purple/Trapeze)、そしてCrumb Bros.等、数々のアルバムやプロジェクトで音楽制作を共にしてきた。一方でシェーンはLAで台頭してきたエクストリームメタルシーンで、Patrick Lachman (Halford、Damageplan)率いるDiesel Machineのメンバーとして活動していた。Diesel Machineのデビューアルバム「Torture Test」はメタルラジオでトップ20入りし、Static-XやSoulflyのゲストとしてツアーに参加した。

B’zとの出会い

そして、彼の音楽的キャリアは日本のメガスター、B’zのオーディションを受ける事で予想だにしなかった新たな展開を迎える。伝説的ともいえるベーシストBilly Sheehan(David Lee Roth/Mr.BIG)と共に、2002年の B’z ツアーにおいてサウンドの根底ともいうべきボトムを支えた。シェーンは以来、B’zサウンドにおいて重要な役割を占めて来た。2003年の「Big Machine」から殆ど全てのアルバム、数々の素晴らしいライブDVD、そして連続一位記録を更新し続けるシングルの制作等に参加。2008年の B’z 20周年を記念する大規模なツアーでは70ものライブで日本中を駆け巡り、最新のライブDVD「B’z LIVE-GYM Pleasure 2008 –Glory Days-」で、その雄姿が見られる通り、B’zにとっての大きな区切りの年に華を添えた。

ソロ活動

シェーンが心に暖めてきたアイデアをソロ作品という形で制作し始めたのも日本に滞在中の時だった。作詞/作曲、録音、そしてドラム/ベース/ギター/キーボード/ボーカルという全てのパフォーマンスをシェーン自身が手がけた(B’z の稲葉浩志が「Time to Feed」でハーモニカ参加)、初のソロアルバム「Primer」は、自身のレーベルJunkman Label(日本ではBig M.F.⁄Zain)から2004年にリリースされた。

“ソロアルバムの制作に関しては、長い間ずっと、やろう、やろうと思っていたんだ。でも何だかいつも他の事で手一杯だったりして時間がなかった・・・いや、始めてみる勇気が無かっただけかもしれないね。こんなに素晴らしい経験が出来るとは思ってもみなかったよ”

とシェーンは語っている。2005年には2枚目のソロアルバム「Hinge」をリリース。スタジオでの制作に留まっていたソロ活動だが、ライブのチャンスが到来。ドラムキットの後ろから飛び出し、ボーカル/ギターを勤めるフロントマンとして、自身のバンドを率いて2005年の秋に日本でのツアーを行った。この模様は日本限定リリースながら「Live and Video Clips」というDVD、そしてライブアルバム「Live in Osaka」として2006年の夏にリリースされた。

そして現在

ロサンゼルスでは、彼が所有するLAのスタジオや他のスタジオで、様々なジャンルのアーティストとのプロジェクト等に携わり多忙な日々を送っている。彼はまた、素晴らしいクリニックを開催する事でも知られており、日本で初めて開催された世界的ドラムフェスティバル「Rhythm & Drums Magazine Festival 2009」に、Terry Bozzio、Johnny Rabb、Stanton Moore等と共に出演した。

2009年4月には「Perfect Rock Drumming」と題した、初の教則DVDを日本のリットーミュージックよりリリース。

“サウンドやグルーブ、スタイルなんかを向上させたいと思ってるドラマーの皆に使ってもらえるアイテムに仕上がっていると思う。僕が学んできた事の少しでも、皆に返還できるとしたら、こんなに素晴らしい事はないよ!”

様々な事に目を向け、常に自分を磨き続けるドラマー。今後もシェーンの活躍から目が離せない事になるだろう。